歴史・風土スポット紹介

歴史・風土散策 2021.04.29

カニや生クロマグロなど四季折々の海産物、水木しげる先生の描いた鬼太郎や妖怪たち。多くのお客様で賑わう境港ですが、町のあちこちには様々な歴史的なモニュメントが点在しています。水木しげるロードや魚市場を少し離れ、この地の歴史・風土に触れることで境港をもう少し深く、そして身近に感じてもらえることでしょう。

境台場公園

国の指定文化財(史跡):1988(昭和63)年7月27日指定。鳥取藩台場跡境台場跡。江戸時代末期の1863(文久3)年、鳥取藩内の重要港湾に築かれた8つの台場(浦富・浜坂・加地・橋津・由良・赤崎・淀江・境)のひとつ。この中でも、境台場は最も規模が大きく、重装備の台場であった。
境台場の役目は明治維新とともに終わったが、1897(明治30)年、境町(現在の境港市)に払い下げられ、以降は地元の人々から「お台場」と呼ばれスポーツや憩いの場として親しまれ、現在に至っている。春には公園内の約240本の桜が咲き毎年「桜まつり」も行われ、花見客で賑わう。また、公園の東北隅にある灯台は1895(明治28)年に開設された山陰最初の灯台を、1991(平成3)年に復元したもの。

所在
〒684-0016鳥取県境港市花町10
灯台開館時間
3〜5月、7月、8月の土・日・祝、午前10時〜午後3時
※桜まつり期間中は午前10時〜午後5時

慰霊塔

1927(昭和2)年8月24日夜、美保湾沖で行われていた日本海軍連合艦隊の夜間無灯火演習で、巡洋艦「神通(じんつう)」と駆逐艦「蕨(わらび)」、巡洋艦「那珂(なか)」と駆逐艦「葦(あし)」の二重衝突事故が起こり、大破。「蕨」「葦」の乗組員約120名が犠牲となった。事故の翌年、当時最新技術であった鉄筋コンクリート造の慰霊塔が境台場公園内に建立された。

玉榮丸慰霊碑

終戦の年、1945(昭和20)年4月23日の朝7時40分ごろ、大正町の岸壁で爆薬の積み下ろし作業中であった徴用船「玉榮丸(937トン)」が突然爆発した。この影響で岸壁近くの火薬倉庫に引火し、大爆発を誘発した。
これにより生じた火災で市街地の1/3が焼失。死者115人、負傷者309人、倒壊焼失家屋431戸、被災人口1790人と第二次世界大戦中の山陰での最大の火災となった。
玉榮丸の乗員もほぼ全員が死亡した。1965(昭和40)年、20周年追悼式の際、現在の場所より南方150mのところに慰霊碑が建てられた。また1995(平成7)年に大正町岸壁そばの現在地に移転された。
境港市では毎年、事故の発生した4月23日に慰霊献花式を行っている。

所在
〒684-0004鳥取県境港市大正町

皇の松

1221(承久3)年、後鳥羽上皇が配流され、隠岐へ向かう途上、この松のたもとで休憩を取ったといわれる。また、ここで奉仕した住民に歌を賜ったとされている。
初代の松は1897(明治30)年に枯れた。現在の松は5代目となり2013(平成25)年5月、第64回全国植樹祭が鳥取県内で開催された際、「隠岐交流友好松」として、隠岐の地より献木された。後鳥羽上皇の歌碑も1930(昭和5)年8月に建てられている。

所在
〒684-0033鳥取県境港市上道町3078

芋代官碑

1.馬場崎町光祐寺 2.中野町村田家墓地 3.麦垣町堂横 4.麦垣町永井家墓地 5.財の木町堂 6.渡町とんど場 7.外江町補岩寺

江戸時代中期に起こった享保の大飢饉。その際(1732(享保17)年)、薩摩からサツマイモが救荒作物として山陰の地に伝えられ、多くの領民の命が救われた。これを行った石見銀山領大森代官「井戸平左衛門」への謝恩の碑である。
境港にサツマイモが伝わったのは1780(安永9)年。鳥取県下では最初。芋代官碑は、山陰各地に461基が散在するが、鳥取県下に12基、そのうち7基が境港市内にあり、これは鳥取県内最多。1987(昭和62)年3月25日、境港市民俗文化財指定。

大港神社

応神天皇、神功皇后を主祭神とし、古来海上安全、境港守護の大神として、諸国の船持ち連中の信仰があつかったと伝えられている。
江戸時代には「八幡宮」と呼ばれた。境内には諸国の船持ち連中や廻船連中から数々の石造物が奉納されており、その信仰の一端を物語っている。また以下のものは2002(平成14)年に境港市指定文化財となっている。

石鳥居
拝殿前の石鳥居は江戸中期の1743(寛保3)年に摂州脇浜浦(現兵庫県神戸市)廻船中から奉納された。

手水鉢
参道入り口にある手水鉢は御影石の巨石。1806(文化3)年に丹後由良庄(現京都府宮津市)船持中から奉納された。

長明燈
参道の左右にある一対の長明燈は若州西津村(現福井県小浜市)の古河嘉太夫教泰から奉納された。

所在
〒684-0006鳥取県境港市栄町133

大同寺

尼子氏の月山富田城(島根県安来市)への兵糧などの重要な流通ルートとなっていた境水道。これを守る鈴掛城(現在の島根県松江市宇井)城主亀井能登守秀綱は、その出城である高岡城(現在の境港市竹内町)城主武良内匠頭が、敵毛利方の尾高城城主杉原播磨守盛重と内通していたとは知らず、その策略にはまり、城を落とされる。自らも切腹し命を絶った。
また秀綱の子清若丸は乳母ともに大同寺(境港市竹内町)付近まで逃げ、小池に身を潜めたが敵に見つかり、命を落とした。
その後、村内に不吉なことや伝染病が流行したため、村人たちは「若君や乳母の霊が成仏できずに迷っている」と信じ、この霊をまつり崇めた。現在、大同寺には、このとき討死した尼子の従者などの塚を集めた「五輪墓」、若君と乳母を祀る小祠や乳母が池、若君の松、乳母の松などがある。

所在
〒684-0043鳥取県境港市竹内町1571

日御崎神社

1460(文明年間)年に創建と伝えられ、現在の社殿は、1852(嘉永5)年に火事で焼失、翌1853(嘉永6)年に再建された。主祭神は大日孁命(天照大神)・素戔嗚尊の二神。1987(昭和62)年境港市文化財に指定された由緒ある神社。
境内には市内唯一の「とっとりの名木100選」に選定されているイチョウ(推定550年)があり、三宝荒神の龍巻神事は2009(平成21)年国の民俗無形文化財に指定された。

所在
684-0072鳥取県境港市渡町1201

山陰鉄道発祥之地碑

1902(明治35)年に山陰地方最初の鉄道が開業したことを記念した碑。
1900(明治33)年、境=鳥取=姫路を結ぶ鉄道「山陰山陽連絡線」の建設のため、境港に資材が運ばれ、境=米子間の工事が始まった。現在のJR境線(境港駅=米子駅間)は、現在のJR山陰本線の米子駅=御来屋駅間とともに、山陰で初めての鉄道として開業した。当時は「山陰西線」と呼ばれていた。
後の1908(明治41)年、米子駅=安来駅間が開業したことにより、境港駅=米子駅間は支線となり、その翌年「境線」の名称がついた。
この記念碑は、開業60周年を迎えた1962(昭和37)年に、当時の駅舎のあった場所(現在の馬場崎町駅の北側)に建てられた。

所在
〒684-0021鳥取県境港市馬場崎町

みそなめ地蔵

昔、入船町にあった廃寺泥蓮寺の古仏であった。いつのころからか定かではないが、現在の光祐寺に移された。みそを塗って願をかけることから俗に「みそなめ地蔵」と呼ばれる。1980(昭和55)年から毎年8月24日地蔵盆の日に「みそなめ地蔵祭」が盆踊りと合わせて開催されている。

所在
〒684-0021鳥取県境港市馬場崎町126

弓ヶ浜

米子市、境港市にまたがる全長約17kmの砂洲。ふりしぼった弓のような弧を描き、防風林である松原が沿うようにして広がる。
霊峰大山を望む「日本の渚百選「」「日本の白砂青松100選」の風光明媚な砂浜。

植田正治生家

境港市出身の世界的写真家・植田正治氏(1913~2000年)の生家。2014(平成26)年11月21日、明治から大正時代に建築された「植田家住宅」の主屋と離れの2件が国の登録有形文化財に。町家の風情を残すたたずまいが、歴史的景観に寄与すると評価された。建物内部は非公開で、主屋の外観のみ見学可能。なお、玄関に「植田正治」の表札が残されている。

所在
〒684-0026鳥取県境港市末広町

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